読み物
38さて彼らが進んで行った時、イエスはある村に入られた。するとマルタという女が、彼を家に迎え入れた。39彼女にはマリアという姉妹がいたが、マリアは主の足もとに座って、主の言に聞き入っていた。40ところがマルタは、あれこれともてなしすることで取り乱していた.…41主は…言われた、「マルタ、マルタ、あなたは多くの事で思い煩い、心配している.しかし、無くてならないものは、ただ一つである.マリアはその良い分を選んだのだ.それを、彼女から取り上げてはならない」。(ルカ10:38-42)
クリスチャンは勤勉に仕事をすべきです。しかしながら、多くの時わたしたちは、仕事をしても内側に安息がありません。わたしたちは主を忘れてしまったかのように感じることさえあるかもしれません。ある時は、わたしたちは朝から晩までとても忙しく、主の御前で祈ったり聖書を読んだりする時間がありません。わたしたちが労苦し、霊的な働きを行ない、兄弟姉妹に助けを与える時、わたしたちの動機は主のためですが、最後にはわたしたちの内側は乱され、心は煩わされてしまいます。問題は、あまりにも多くのことがあるために、わたしたちが主を忘れ、主をほうっておくことにあります。わたしたちは主の言われることに耳を傾けましょう。主は、無くてはならないものはただ一つだけであると言われます!これこそが、主の中で安息を持ち、主に満足することです。
主はマルタに、多くのことを行なうのは間違っていると言われたのではありません。主はマルタに、これらの事柄が彼女の中に入り込んで彼女を煩わせることのないようにと、思い起こさせたのです。わたしたちは勤勉に働くことは必要ですが、内側には平安があるべきです。わたしたちの内側にはただ一つのもの、キリストがあるべきです。主はわたしたちにただ一つのことを求められます。それは、わたしたちがどんな環境の中でも、その環境によって触れられないことです。外側では、わたしたちはとても忙しく多くのことを行なうかもしれませんが、内側にはただ一つのものがあるべきであり、わたしたちはそれを決して離すべきではありません。わたしたちは外側では忙しいかもしれませんが、内側では神との交わりを維持すべきです。マリアは最も良いものを選びました。それは主との交わりです。主はマルタに働きの方法ではなく内側の安息について、彼女の姉妹から学んで欲しかったのです。わたしたちは、外側ではマルタになっても構いませんが、内側ではマリアのようになり、主との完全な結合の中にいるべきです。わたしたちは、外側ではとても忙しくても、内側では神と交わり、安息しているべきです。これが最も尊い経験です。(ウォッチマン・ニー全集第37巻、第19編)
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*御言:日本福音書房『新旧約聖書回復訳合本』(2015/9)より引用
*記事:『ミニストリーダイジェスト』第1巻 PP136-137より引用