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主の愛、恵み、力 / 祂傳輸更多恩典 / He Giveth More Grace

詩歌動画 / 詩歌視頻 / Video

He Giveth More Grace (New Tune)

歌詞 Lyrics

日本語

主の愛、恵み、力

1
重荷増すとき 主のめぐみ増し
労苦増すとき ちからづけ
苦難増すとき 主のあわれみ増し
試練増すとき 平安増し加わる

(折り返し)
主の愛、恵、力に制限なく
かぎりなく はかりしれず
イエスはかれの無限の豊富から
あたえ、あたえ、さらにあたえる

2
忍耐のたくわえ つかい果たし
道なかばで ちから尽き
たよれるもの なくなるときに
御父の完全な分与はじまる〜

(折り返し)
主の愛、恵、力に制限なく
かぎりなく はかりしれず
イエスはかれの無限の豊富から
あたえ、あたえ、さらにあたえる

中国語

祂傳輸更多恩典

1
重擔加多,祂所賜恩典益增添;
勞苦加重,祂力量益顯完全。
患難越烈,祂所施憐憫越豐盈;
試煉越頻,祂平安越發繁增。

祂愛高深無限,祂恩闊長無邊,
祂力剛強不倦,超人所能言;
出自耶穌基督的豐富和無限,
祂賜給,又賜給,祂賜給無間。

2
當我們的忍耐耗盡無以為繼,
旅程尚未過半,已力竭精疲,
當我們已臨及山窮水盡之時,
我們父神全般供應纔開始。

祂愛高深無限,祂恩闊長無邊,
祂力剛強不倦,超人所能言;
出自耶穌基督的豐富和無限,
祂賜給,又賜給,祂賜給無間。

English

Source: https://www.hymnal.net/en/hymn/nt/723

He Giveth More Grace

1
He giveth more grace when the burdens grow greater,
He sendeth more strength when the labors increase,
To added affliction He addeth His mercy,
To multiplied trials, His multiplied peace.

(Chorus)
His love has no limit, His grace has no measure,
His power no boundary known unto men,
For out of His infinite riches in Jesus,
He giveth and giveth and giveth again.

2
When we have exhausted our store of endurance,
When our strength has failed ere the day is half-done,
When we reach the end of our hoarded resources,
Our Father’s full giving is only begun.

(Chorus)
His love has no limit, His grace has no measure,
His power no boundary known unto men,
For out of His infinite riches in Jesus,
He giveth and giveth and giveth again.

読み物 / 短篇信息 / Reading Materials

日本語

『新約ライフスタディコリント人への第二の手紙』第55編より抜粋

キリストを恵みと力として経験する

八節と九節は言います、「これについてわたしは、それが取り去られるようにと、三度も主に懇願しました。すると彼はわたしに言われました、『わたしの恵みは、あなたに対して十分である。 わたしの力は、弱さの中で完全に現れる』。ですから、わたしはむしろ自分の弱さを、大いに喜んで誇りましょう。それはキリストの力が、わたしの上に幕屋を張るためです」。苦難や試練はしばしば、わたしたちがキリストを恵みと力として経験するために、主が定められます。ですから、使徒が懇願したにもかかわらず、主はそのとげを、使徒から取り除こうとはされなかったのです。

パウロはこのように祈ったかもしれません、「おお、 主よ、とげを取り去ってください。 このサタンの使いを免れさせてください。 わたしは苦しんでおり、これ以上このとげに耐えることはできません」。主はパウロの祈りに答えられましたが、パウロの方法にしたがってではありません。同じように、主はわたしたちの祈りに答えられますが、わたしたちの方法にしたがって答えられないでしょう。 主はパウロにこう言われたかのようです、「いや、わたしはとげを取り除かない。このとげはあなたを低くしておくために、わたしによって用いられている。わたしはあなたが苦しんでいることを知っており、あなたが必要とする恵みを与えよう。 パウロよ、わたしの恵みは、あなたに対して十分である。とげを取り除くよう、わたしに求めてはならない。もしわたしがそれを取り除くなら、見せた事と啓示を取り去らなければならない。またあなたを取り去ること以外に、それを行なう道はない。パウロよ、もしあなたがこのとげを持たないなら、高ぶりすぎて、あまりにも有頂天になるかもしれない。わたしはそうなることを許すことができない。あなたを低くしておく最上の道は、あなたにこのとげを残しておくことである。しかしわたしはあなたを恵み、あなたを支えて、あなたがこの苦難に耐えることができるようにする。さらに、あなたの経験の中で、わたしの恵みは力となり、弱さの中で完全に現れる。 とげはあなたの弱さを暴露する。それがなければ、あなたは自分がどれほど弱いかを認識しないであろう。今やあなたは、わたしがあなたの恵みとなることを必要とする。あなたの経験、あなたの享受の中で、わたしの恵みは力となって、あなたの上に幕屋を張るであろう」。

パウロが経験した恵みは、実は主イエス・キリストご自身でした。パウロは彼の経験の中で、主の恵みが力となって、天幕のように自分の上に張られたことを認識したと、わたしは思います。ですから、この恵み・力は、パウロが彼の苦難の中で住む場所となりました。パウロは苦しんでいた時、彼の上に張られた幕屋の中に住むことができました。 この幕屋、この天幕は、彼を支え、支持し、維持し、守りました。主の恵みの十分さが大きく表現されるには、わたしたちが苦難を受ける必要があります。 主の力の完全さが現されるには、わたしたちの弱さが必要とされます。ですから、使徒は彼の弱さを、大いに喜んで誇ることができたのです。それはキリストの力が、彼の上に幕屋を張るためでした。 恵みは供給です。そして力は恵みの強さ、能力です。両方とも、復活されたキリストです。このキリストは、今や命を与える霊と成って、わたしたちの中に住んでおられ(Iコリント十五・四五、ガラテヤ二・二〇)、 わたしたちの享受となられます。

九節で「上に幕屋を張る」と訳されたギリシャ語は、「エピスケノー(episkenoo)」であって、「エピ(epi)」と「スケノー(skenoo)」で構成された複合動詞です。 最初の言葉は「上に」を意味します。 次の言葉は「幕屋の中に住む」を意味し、ヨハネによる福音書第一章十四節と啓示録第二一章三節で使われています。ここの複合動詞は、「天幕をその上に張る、あるいは住まいをその上に固定する」を意味します。それは、いかにしてキリストの力、キリストご自身が、わたしたちの上を覆う天幕のように、わたしたちの上に住まわれ、弱さの中にあるわたし
たちを覆ってくださるかを描写しています。

十節でパウロは結びます、「こういうわけで、わたしはキリストのために、弱さの中で、侮辱の中で、貧困の中で、迫害と苦悩の中で、十分に喜んでいます。なぜなら、わたしは弱い時にこそ、強いからです」。「十分に喜んでいます」と訳されたギリシャ語は、マタイによる福音書第三章十七節と同じギリシャ語であり、十分に満足していることを意味します。侮辱とは虐待であり、貧困とは強制、すなわち、強く圧迫す緊急の必要です。 「苦悩」というギリシャ語は、文字どおりには、部屋が狭いこと、ですから拘束、困難、行き詰まりを意味します。 この節の終わりで、パウロは弱くあることと強くあることについて語ります。彼は古い人の中では弱く、上を覆われるキリストの中では強かったのです。

日本福音書房『新約ライフスタディコリント人への第二の手紙』第55編より抜粋

中国語

節錄自《哥林多後書生命讀經》第55篇
文字複製自 https://www.lsmchinese.org/lifestudy/2cor55.html

經歷基督作恩典和能力

八至九節說,『為這事,我三次求過主,叫這刺離開我。祂對我說,我的恩典彀你用的,因為我的能力,是在人的軟弱上顯得完全。所以我極其喜歡誇我的軟弱,好叫基督的能力覆庇我。』苦難和試煉常是主為我們命定的,叫我們經歷基督作恩典和能力。因此,主不願照使徒所求的,叫這刺離開他。

保羅可能這樣禱告過:『主阿,求你挪開這根刺。趕走這個撒但的使者。我一直在受苦,我再也受不了這根刺。』主垂聽保羅的禱告,但不是照著保羅的方式。照樣,主也會垂聽我們的禱告,但可能不是照著我們的方式。主似乎對保羅說,『不,我不叫這根刺離開你。我是用這根刺使你卑微。我知道你在受苦,但我會給你所需要的恩典。保羅,我的恩典彀你用的。不要求我拿開這根刺。如果我拿開了,我也必須把異象和啟示拿開,而我沒有辦法這麼作,除非我把你也拿走。保羅,你若沒有這根刺,你可能會太驕傲,太被高舉。我不能容讓這事發生。使你卑微最好的方法就是把這根刺留在你身上。但我會給你恩典扶持你,使你能忍受這苦難。同時,在你的經歷中,我的恩典會成為能力,在軟弱上顯得完全。這根刺暴露你的軟弱;沒有牠,你不會曉得自己是多麼軟弱。現在你需要我作你的恩典。在你的經歷,在你的享受中,我的恩典會成為覆庇你的能力。』

保羅所經歷的恩典,事實上就是主耶穌基督自己。我信保羅從經歷中領會,主的恩典成為能力覆庇他,好像帳棚覆罩他一樣。因此,這恩典的能力成為保羅受苦之時的居所。當保羅受苦時,他能住在這覆罩他的帳幕中。這個帳幕,這個帳棚,支持他、扶持他、維繫他、並保守他。

要顯大主恩典的充足,我們的苦難是不能免的;要顯明主能力的完全,我們的軟弱是需要的。因此,使徒極其喜歡誇自己的軟弱,好叫基督的能力覆庇他。恩典是供應,能力是恩典的力量、才能。這二者都是復活的基督,祂現今是賜生命的靈,住在我們裡面,(林前十五45,加二20,)給我們享受。

林後十二章九節裡的覆庇,原文是由二字所組成的複合動詞。第一字意在上面,第二字意住在帳棚裡,如約翰一章十四節和啟示錄二十一章三節所用者。這複合動詞意即把帳棚或居所固定在某物之上。這描繪基督的能力,就是基督自己,如同帳棚覆罩在我們身上,蔭庇我們的軟弱。

保羅在林後十二章十節下結論說,『因此,我為基督的緣故,就以軟弱、凌辱、貧困、逼迫、困苦為可喜悅的,因我甚麼時候軟弱,甚麼時候就有能力了。』可喜悅的,或作,可滿意的,與馬太三章十七節者同。凌辱,或作虐待。貧困,或作窘逼;即逼得甚緊的急需。困苦,直譯,場所狹窄。因此指困境、難處、困苦。在這節末了,保羅說到軟弱和有能力。他在舊人裡是軟弱的,在覆庇的基督裡是有能力的。

節錄自 臺灣福音書房『哥林多後書生命讀經』第55篇

English

An excerpt from "Life-study of Second Corinthians" - Chapter 55
Source: https://www.ministrybooks.org/

EXPERIENCING CHRIST AS GRACE AND POWER

Verses 8 and 9 say, “Concerning this I entreated the Lord three times that it might depart from me. And He has said to me, My grace is sufficient for you, for My power is perfected in weakness. Most gladly therefore will I rather boast in my weaknesses, that the power of Christ might tabernacle over me.” Sufferings and trials are often the Lord’s ordination for us, that we may experience Christ as grace and power. For this reason, the Lord would not remove the thorn from the apostle as he entreated.

Paul might have prayed like this: “O Lord, take away the thorn. Get rid of this messenger of Satan. I am suffering, and I cannot bear this thorn any longer.” The Lord answered Paul’s prayer, but not according to Paul’s way. Likewise, the Lord will answer our prayer, but He may not answer it according to our way. The Lord seemed to say to Paul, “No, I shall not remove the thorn. This thorn is being used by Me to keep you down. I realize that you are suffering, and I shall give you the grace you need. Paul, My grace is sufficient for you. Don’t ask Me to take away the thorn. If I were to take it away, I would have to take away the visions and the revelations, and I would have no way to do that except by taking you away. Paul, if you do not have this thorn, you may be too proud and lifted up too high. I cannot allow that to happen. The best way to keep you down is to leave this thorn with you. But I shall grace you and support you so that you may be able to bear this suffering. Also, in your experience, My grace will become power made perfect in weakness. The thorn exposes your weakness. Without it, you would not realize how weak you are. Now you need Me to be your grace. In your experience, your enjoyment, My grace will become power tabernacling over you.”

The grace experienced by Paul was actually the Lord [489] Jesus Christ Himself. I believe that in his experience Paul realized that the Lord’s grace became power spread over him like a tent. Hence, this grace-power became a dwelling place for Paul in his sufferings. As he was suffering, Paul could dwell in the tabernacle spread over him. This tabernacle, this tent, sustained him, supported him, maintained him, and kept him.

To magnify the sufficiency of the Lord’s grace, our sufferings are required. To show forth the perfectness of the Lord’s power, our weakness is needed. Hence, the apostle would most gladly boast in his weaknesses, that the power of Christ might tabernacle over him. Grace is the supply, and the power is the strength, the ability, of grace. Both are the resurrected Christ, who is now the life-giving Spirit dwelling in us (1 Cor. 15:45Gal. 2:20) for our enjoyment.

The Greek word translated “tabernacle” in verse 9 is episkenoo, a compound verb composed of epi and skenoo. Skenoo, meaning to dwell in a tent, is used in John 1:14 and Revelation 21:3Episkenoo here means to fix a tent or a habitation upon. It portrays how the power of Christ, even Christ Himself, dwells upon us as a tent spread over us, overshadowing us in our weakness.

In verse 10 Paul concludes, “Wherefore I am well pleased in weaknesses, in insults, in necessities, in persecutions, and distresses, on behalf of Christ; for whenever I am weak, then I am powerful.” The Greek word rendered “well pleased” also means well content, as in Matthew 3:17. Insults are mistreatments, and necessities are constraints, urgent needs that press much. Literally, the Greek word for “distresses” means narrowness of room; hence straits, difficulties, distresses. At the end of this verse Paul speaks of being weak and also of being powerful. He was weak in his old being, but he was powerful in the overshadowing Christ.

参考情報 / For More Information

詩人 Annie Johnson Flint の生い立ちを紹介する記事をぜひご覧ください。

この詩歌が描かれた背景と重みがよく伝わってきます。

ちなみに、Annieは『主約束されない』(God Hath Not Promised)の作者でもあります。
Hymnal.entのリンク→(English中文

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