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【コラム】御言詩歌の勧め

御言詩歌とは

御言をそのまま歌詞とし、メロディーを当てた詩歌のことです。日本語ではまた多く見受けられませんが、今後どんどん御言が歌われることを楽しみにしています。本サイトもその一役を担えたいと思っています。

「御言詩歌」の英語は Scriptural Songs です。英語では大量にあり、下記のような専門サイトもあります。

外部サイト:Scriptures Songs Project

ギターコード付きのソングブックのPDF(410KB)がフリー公開されています。リンク切れ防止のため、本サイトのサーバーにも保存しましたので、下記からもダウンロードできます。1994年版と書かれていて、20数年前のものとなります。1000年以上の前の詩歌も今歌い継がれているので、英語聖書の翻訳が変わらない限り問題ではないと思います。

聖書における御言詩歌の勧め

歌ってキリストの言葉を内住させる

聖書な中で、御言詩歌の推奨と捉えられる(おそらく)唯一の箇所は

コロサイ人への手紙3章16節です。

コロサイ3:16
知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせ、
詩と詩歌と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、
恵みをもって、心から神に向かって歌いなさい。

"歌いなさい"のフットノート:
「教え、戒め」と「歌い」は、動詞「住まわせ」を修飾します。
これは、主の言葉をわたしたちの内に豊かに住まわせる道が、
教え、戒め、歌うことによることを示しています。

出典:御言とフットノートとも 日本福音書房『聖書回復訳2015年版』

聖書の翻訳は原文の語順を極力維持したい傾向があるので、この御言は日本語では文の構造が少し難解です。英語の方がわかりやすいで読んでみてください。

Colossians 3:16
Let the word of Christ dwell in you richly in all wisdom,
teaching and admonishing one another
with psalms and hymns and spiritual songs,
singing with grace in your hearts to God.

出典:Living Stream Ministry "Recovery Version Bible"
引用元:wordssl.org

つまり、①教え戒めることと②歌うことによって、キリストの言をわたしたちの内に豊かに住まわせるように、使徒パウロが勧めていたのです。

文法的に言うと、”teaching”、”admonishing”と”singing”は動名詞として “dwell”を修飾しているのです。

「キリストの言葉」イコール「聖書の言葉」なのか?

さて、「聖書の言葉」ではなく、「キリストの言葉」を住まわせるとあるので、ちょっと違うじゃないかと思われる方のおられるかもしれませんが、念のため説明します。

聖書はキリストについて証しする書である

文字通りには、キリストが地上で実際に語られた言葉です。しかし聖書そのものがキリストを証しする書であるので、聖書全体と解釈することができます。イエスご自身がユダヤ人に対して語った下記の言葉がその証明です。

ヨハネ 5:39
あなたがたは聖書を調べている.なぜなら、
その中に永遠の命があると思っているからである.
しかし聖書は、わたしについて証しをするのである

これを証明する事例が聖書にあります。弟子のピリポがエチオピアの宦官と対話していた時、宦官が読んでいた旧約聖書のイザヤ書(53章7-8節)から始めて、イエスを福音として宣べ伝えました。イザヤ書が書かれた時代は当然イエスがまだ誕生していなかったが、「聖書は、わたしについて証しをするのである。」とイエスが言われたように、イエス・キリストが聖書の唯一のテーマなのです。

使徒行伝 8:35
そこで、ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、
彼にイエスを福音として宣べ伝えた。

実は、旧約時代イザヤが語った言葉は、神が彼らを通して語った「神の言葉」でした。旧約の時は預言者を通して、イエスが来られた時はイエスを通して、そして現在は聖霊を通して語られます。

ヘブル 1:1-2
神は、昔は多くの部分に分けて、多くの方法で、
預言者たちを通して、父祖たちに語られましたが、
この終わりの日には、御子の中でわたしたちに語られました.
神は3御子を万物の4相続者と定め、また御子を通して5宇宙を造られました.

御言に構成された模範

詩歌を用いることから離れますが、御言に内住させる模範を挙げます。

最大の模範は主イエスご自身

これは有名なは箇所ですが、主イエスが務めを始められる前に悪魔によって試みられました。悪魔は三度、聖書の言葉を断片的に解釈して主イエスをつまずかせようとしましたが、主イエス三度とも、御言で返し、見事に撃退したのです。

該当箇所はマタイによる福音書4章5-11節ですが、長いので割愛させていただきます。読まれたい方は下記リンク先でお読みください。

マタイ4:5-11(オンライン聖書回復訳)

主イエスは機転も記憶力も神だから、撃退して当然だと思われることもあるかもしれません。しかし、主イエスご自身が、人の子として、聖書をよくよく学んでいたのです。主イエスが12歳の時、両親とともにエルサレムに行った時の事例です:

ルカ 2:46
そして三日後に、イエスが宮の中で、教師たちの真ん中に座り、
彼らの言うのを聞いたり、彼らに問いかけたり
しておられるのを見いだした。

永遠無限の神が有限な人の肉体の中に閉じ込められつつ、その制限の中で、もっとも正しい人として行きました。悪魔の試練に対して主イエスは神としてではなく、人の子の立場で御言を用いたのです。それは同じ人の子であるわたしたちのために、従うべき原型(模範)を残すためでした。

1ペテ 2:21
あなたがたが召されたのはこのためです.
なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、
あなたがたが彼の足跡に従うようにと、
原型を残されたからです.

マリアの模範

ルカ1:46
すると、マリヤは言った、「わたしの魂は主を大きく表現します
わたしの霊は、わたしの救い主なる神の中で歓喜しました

マリヤがイエスを身ごもっていて、親族のエリサベツを訪問した時に語った言葉でした。これは旧約サムエル記上2章1節、サムエルの母親ハンナがエホバを賛美し語った言葉によく似ています。御言の”オマージュ”でした。マリヤが旧約聖書を熟知していなければ即座に出てくることはありえませんでした。

サムエル記上 2:1
ハンナは祈って言った、「わたしの心はエホバにあって歓喜し
わたしの角はエホバにあって高く上げられ、
わたしの口は敵に対して大きく開きます.
それゆえ、わたしはあなたの救いを喜び楽しみます

詩篇34篇2-3節にあるダビデの詩とも類似しています。

詩篇34:2-3
わたしの魂はエホバの中で誇ります.
へりくだる者たちは聞いて歓喜します
わたしと共にエホバを大きく表現しよう
彼の御名を共に高く上げよう。

ちなみに時系列順は、サムエル記上(ハンナ)→詩篇(ダビデ)→ルカ(マリヤ)です。

実際の御言詩歌の紹介はこちらの記事をご参照ください。

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