詩歌
読む前の質問
あなたにとって、クリスチャンの実行において一番大事にしていることは何ですか?
読み物
出典:『主を食べる』PP14-17, 21-22
引用聖句
*聖書旧約は日本福音書房2011年10月初版。
申命記 15:19-20 あなたの牛の群れと羊の群れに生まれた雄の初子はすべて、エホバ・あなたの神に聖別しなければならない.牛の初子を用いて仕事をしてはならない.羊の初子の毛を刈ってはならない。あなたと家族は、それをエホバが選ばれる場所で、エホバ・あなたの神の御前で年ごとに食べなければならない。
ヨハネ 6:35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである.わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしの中へと信じる者はいつまでも決して渇くことはない。
ヨハネ 6:57 生ける父がわたしを遣わされ、わたしが父のゆえに生きているように、わたしを食べる者も、わたしのゆえに生きる。
ヨハネ 6:63 命を与えるのはその霊である.肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った言葉は霊であり、命である。
書物の抜粋
キリストが来られたのは、わたしたちが食べるためである
…申命記第十五章には、雄牛の初子を使って働いてはならない、羊の初子の毛を刈ってはならないとあります。むしろ、それは食べなければなりません(19-20節)。これは予表によればどのような意味でしょうか?多くのクリスチャンやクリスチャンでない人がキリストについて話す時、彼らはキリストに地を耕していただくことや、キリストの毛を刈ることを期待します。キリストを食べることなど考える人はいません。キリストに地を耕すように求めることは、彼にあなたのために労苦していただくこと、彼に何かしていただこうと求めることです。あなたは、毎日、自分が主イエスに、自分のために地を耕してもらいたいと思っているのを知っていましたか?あなたには妻を取り扱う方法がないので、こう祈ります、主よ、あなたはわたしにどんな妻を与えられたかご存じです。わたしは無力です。どうか彼女を取り扱ってください」。これは、主イエスにあなたのために地を耕していただくよう求めることです。ある姉妹たちは祈ります、「主よ、あなたはわたしの夫がどれくらい頑固かご存じです。主よ、あなたは彼を取り扱ってくださらなければなりません。そうでないと、これ以上耐えられません」。このように、あなたが主に自分のために何かしてくださるように求める時、あなたは彼に雄牛として地を耕すように求めているのです。
羊の毛を刈るという意味は、何でしょうか?羊毛は、衣服を作るために使われます。あなたは、キリストが自分の外側の装飾であってほしいと思います。あなたは、外側でキリストを模倣しようとします。この二つの事柄から免れたクリスチャンはほとんどいません。こうした主を愛さないクリスチャンは、つまり主を無視しているのです。しかし、主を愛するクリスクリスチャンは、彼に地を耕していただきたい、あるいは彼の毛を刈りたいと思っているのです。
聖書は、わたしたちが地を耕すように言っているのではなく、食べるように言っています。あなたはキリストに自分のため何かすることを求めないでください。むしろ、内側にキリストを食べ込んでください。キリストに自分の妻を変えてくださるように祈ったり、求めないでください。むしろ、キリストを自分の中に食べ込んで、彼によって生きてください!
あなたの妻は少しも変わらないかもしれません。それでも、あなたにとって生きることはキリストです。主に夫を痛い目に遭わせるよう求めないでください。このような祈りに、主は決して答えられません。主は、「わたしは、むしろつえを使ってあなたをむち打ちますよ」と言われるでしょう。あなたは主を食べなければなりません。あなたが主を食べる時、あなたは夫からのどんな虐待も甘いものとなるでしょう。ハレルヤ!あなたは、主に地を耕してもらう必要はありません。彼の毛を刈る必要もありません。あなたは、ただ彼を食べる必要があります。
主はこう言っておられるかのようです。「わたしは命のパンです。わたしを食べる者は、わたしのゆえに生きます。わたしがあなたのために何かをするとか、あなたの外側の装飾になるとかいうことを、わたしに期待しないでください。わたしが来たのは、羊が命を得、しかも豊かに得るためであることを、あなたは理解しなければなりません。わたしの願いは、あなたの中に入って、あなたの命またあなたのすべてとなることです。わたしがあなたの中で生きている限り、あなたは外側の状況を気にかけなくてもよいのです。あなたの妻が変わったなら、それは良いことです。彼女が変わらなかったなら、それはもっと良いのです。従順な妻を持つのは良いことです。不従順な妻を持つのはもっと良いことです。温かくて優しい夫は、もちろん愛らしいでしょうが、荒っぽくて厳しい夫は、もっと愛らしいです」。ですから、今日わたしたちの内側に命を持つことが重要なことであり、キリストに何かをしてもらうように哀願することが重要なのではありません。キリストがわたしたちの中に入って、わたしたちの命と供給となる限り、わたしたちは他の人ができないことをすることができ、他の人が耐えられない苦しみに耐えることができ、他の人の担うことができない重荷を担うことができます。地を耕さないでください。羊の毛を刈らないでください。それよりも、主を食べてください!彼があなたの預言者になることや、あなたの王になることを期待しないでください。彼は、あなたの命のパンとして来られました。ですから、彼を食べてください!
…
食べる方法
わたしたちが食物として食べる主は、その霊です。それでは、わたしたちは彼を食べるためにどの器官を使いますか?わたしたちは霊を使って主を食べます。主は霊です。ですから、わたしたちは彼を食べるために霊を使わなければなりません。わたしたちは、どのように主を食べるのでしょうか?「おお、主よ!おお、主よ!」と呼び求めることによってです。主を呼び求めることは、彼を食べることです。聖書は、主が食物であること、そして彼を食べなければならないことを、はっきりわたしたちに示しています。その霊として、彼は食べ物です。
わたしたちが彼を食べる器官も、また霊です。さらに、彼を食べる方法は、主の御名を呼び求めることです。主を呼び求めることは、主を食べることです。ある人は、わたしたちが呼び求めたり、叫んだりしたら、日曜礼拝をしているように見えないと言うかもしれません。呼び求めたり、叫んだりすることは、絶対に正しいです。わたしたちは、彼らの言ういわゆる「日曜礼拝」を顧みません。わたしたちは主を食べるためにここに来ているのです。どのように食べますか?主を呼び求めることによってです。あなたは、他の多くの集まりでは上品であることができますが、食べる時にはそうすることができません。主の御名を呼び求めることは、上品には思われないでしょう。しかし、わたしは自分でそれを味わったので、それが確かに甘いということを知っています。主に感謝し賛美します!これが今日の主の回復です。主は何を回復しておられるのでしょうか?主を食べることです!ハレルヤ!
ディスカッション
- あなたは主を食べていますか?
- 今週一週間はどのように主を食べようと思いますか?