プロフィール
出典:Wikipedia
ファニー・クロスビー(Fanny Crosby)
1820.3.24 – 1915.2.15
米国の詩人、賛美歌作詞家。ニューヨーク州パットナム郡生まれ。生後6週間で盲目となり、11歳の時にニューヨーク市立盲学院に入学。1847年から同学院の教師となり、英語と歴史を教える。1858年盲目の音楽家アレクザーンダ・バン・アルスタイン(Alexande Van Alstyne)と結婚。生涯3000曲以上の賛美歌を生み出し、D.サンキ・ドエインとの共作も数々手掛け、「主の腕に抱かれ」(一般的には”イエスのみ腕にいこう”」)、「神に栄光」等を残す。
参照 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について|wholesomewords.org
参照
・台湾福音書房出版『唱詩人』第二巻第二期(PP16-21)
・Christian Today – Christian History – Fanny Crosby
たしかに、主わがもの
「たしかに、主わがもの」(Blessed Assurance, 詩歌265番)という詩歌は、多くのクリスチャンが救われた後に歌う最初の詩歌です。これはある有名な盲人の女性詩人、フランシース・ジェーン・クロスビー(Frances Janes Crosby, 1820-1915)によるものです。彼女はクリスチャンの間で「ファニー・クロスビー」という名前で知られています。ファニーは生涯多くの筆名を使い、様々なテーマについて9,000以上の詩(賛美歌は3,000以上)を残しました。そのうちに「たしかに、主わがもの」のようによく歌われるものは少なくありません。言葉はシンプルで分かりやすいものですが、経験と光に満ちていて、思わず心の底から共鳴をさせられます。私たちの詩歌集の中にもファニーの詩歌を十数曲(注1)収録しています。御父を礼拝する詩歌から福音詩歌まであります。彼女の生涯に渡る神に対する経験は、失明によって制限されることなく、それどころか、さらに主に専念させられ、さらに広がりを見せました。
詩歌265番のメロディー
出典:唱詩人1820年3月24日、ファニーはアメリカのニューヨーク州の貧しいパットナム郡(Putnam County)に生まれました。両親は農業を営んでいました。ファニーは生まれて間もなく目の病気にかかりました。治癒できるものでしたが、医者の医療ミスによって永遠に視力を失いました。同年11月、ファニーの父親は寒さで倒れ、数日後妻と娘を残し、この世を去りました。
ニューヨークの位置
出典:Wikipedia
パットナム郡の位置
出典:Wikipedia
ファニーの母親は仕事のために、娘を祖母のユニケ(Eunice)に預けました。祖母はファニーに読書を教え、神が創造された万物の景色、例えば夜明けの光、星の光、夕映え、雲などを言葉で説明して聞かせました。また、動物・植物を手で識別することも教えました。このほか、祖母はファニーに聖書を教え、祈りを導き、毎主日は必ず集会に連れて行きました。ファニーの母親は家計のために、彼女を連れてノース・セーラムに出稼ぎに行き、彼女を女性大家さんに預けました。敬虔なクリスチャンである大家さんはファニーを細やかに顧みました。ファニーは秀でた才能と記憶力を持っていたので、二年も経たないうちに、モーセ五書およびその他有名な詩を暗唱することができるようになりました。
ノース・セーラム(North Salem)の位置
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1843年、14歳手前のファニーはニューヨークの盲学院の学生になりました。ファニーは早くも様々な学科を習得しました。文法、科学、音楽、歴史、哲学、天文、政治、経済など、どの科目にも興味を持っていました。ファニーは作詞が好きなので、学校から特別に目をとめられていました。ある日の午前、ファニーは校長に呼ばれました。ファニーは、校長に褒められるか、才能を披露する機会が与えられるか、もしくは即興作詞で貴賓を歓迎してほしいと言われるかと思っていましたが、校長は彼女に、高ぶらずに、褒められても得意げにならずに、各分野の学識を充実させるようにと厳粛に訓戒しました。ファニーはそれを聞いて泣きそうでしたが、すぐに校長の心を理解しました。数週間後、ファニーは学業において飛躍的に成長し、20歳未満の彼女は校内でもっとも優秀な生徒になりました。彼女はピアノ、アコーディオンを演奏することができ、全米でもっとも有名なハーブ奏者にもなりました。ファニーは卒業してすぐ学校に教員として迎えられましたが、校長は彼女を訓練することをやめませんでした。彼女の作品の水準を高めるために、校長は専門の講師を雇い、ファニーに作詞の韻律とリズムを教えました。さらに、彼女に長詩を暗記させたり、名作を鑑賞させ、それに倣って創作させたり、即興作詞の能力を訓練しました。
恵みにて、専一に仕える
彼女の才能はだんだんと評価されるようになりました。1841年、ファニーの詩は新聞の『ニューヨーク・ヘラルド』(New York Herald)に掲載され、当時のアメリカの詩人でリーダー的な存在であるブライアント(William Cullen Bryant)にも推薦されたためん、ファニーは「盲人女性詩人」として、瞬く間に名が知れ渡りました。6月にアメリカ大統領ジョン・タイラーがニューヨーク市長などに囲まれて盲人学校を訪れた際、ファニーは校長に歓迎の詩を作るように指示されました。ファニーは15分以内に仕上げて、その場で来賓たちに朗読し、非常に高く評価されました。同年、ファニーは1冊目の詩集を出版し、新聞の『ニューヨーク・トリビューン』に評価され、他の新聞・雑誌にも掲載されました。その名声と傑出した才能がだんだんと多くの政府高官に注目され、ファニーは頻繁に宴会に招かれるようになり、ホワイトハウスで大統領と一緒に食事することもありました。そのため、ファニーの親友に何人ものアメリカ大統領がいました。
幼少から障害を持ったファニーは、超人的な才能と意志によって、若くして人生のピークに到達し、誰もが羨望する詩人になりました。しかし、彼女は満足を感じませんでした。なぜなら、彼女は敬虔なクリスチャン家庭で育ったが、彼女を方向付ける重要な霊的な経験に出会ったことがなかったのです。言い換えれば、再生の経験を持っていなかったのです。1850年10月、ニューヨーク市は霊的な大復興の最中にありました。ある主日集会において、彼女はアイザック・ウォッツの名作『主の十字架を思い』(詩歌85番/英101番)を歌った時に、ファニーはふっと気がつきました。自分はずっと世俗の詩作の世界に埋もれていたが、主に出会うことがありませんでした。その後、彼女は照らされ:自分が霊的に前進しなかったのは、主とこの世を両方つかもうとしたからだということに気づかされました。彼女は心の中で主に祈りました:「主よ、私は自分をあなたに捧げます!」詩歌287番(英387番)は、まさに彼女が献身後に湧いた主を慕う感覚を描写しています。
詩歌85番のメロディー
出典 hymnal.net
詩歌287番のメロディー
出典:唱詩人出会うことすべて、主の意志がある
1951年、ファニーは31歳の年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。それ以降、彼女の生活に著しい変化がありました。彼女は神を追求し、人の霊的な需要を顧みました。特におろそかにされがちな貧しい方と目の不自由な方を顧みました。そして創作の目標を世俗のものからだんだんと詩歌へと変えました。一旦彼女が詩歌の創作に専念すると、心の底から真の満足を感じ、生活にさらに明確な目標を持ちました。彼女はこのように証ししました「私が詩歌を書くようになってから、人生の意義を初めて見つけました。私は地上で最も楽しい人になりました。」数年後、ファニーは盲人学校のもうひとり優秀な教員あるアルスタイン(Alexande Van Alstyne)と結婚し、ロングビーチに住みました。翌年に娘が生まれたが、不幸にも早く亡くなりました。このとき、彼女は『主の腕に抱かれ』(詩歌501番)を書き、娘を失った苦しみを、親族を失った者への慰めと励ましへと変えました。
ファニーの伝説的な生涯の中で、多く羨望される面がありますが、彼女が経験した環境は過酷で、挫折に満ちたものでした。幼少期に視力を失ったことは彼女にとって最大の挑戦でした。しかし、自分自身を主に捧げたファニーは、すべてのことに主の意志ががあることを理解していました。あるとき、非常に有名な宣教師が同情に満ちた口調で彼女に言いました:「私は実にあなたのことを気の毒に思っています。主はあなたにこれほど多くの賜物を与えたのに、あなたに視力を与えませんでした」。ファニーはすぐに答えました:「もし私が生まれた時に主に求めることができれば、目の見えない状態で生まれてくることを願ったことでしょう」。宣教師はとても驚いて「どうしてですか?」と聞きました。ファニーは言いました:「そうすれば、私が主にお会いし、目が見える時に、私が初めて目にするお顔は、きっと私を喜ばせてくれる救い主の顔だからです」。それはまさに詩歌508番に書かれている通りです。彼女は知っていました:「出会うことすべて、主の意志がある。」⌘
出典:azquotes.com
追記:ファニーの墓碑にある言葉
編集者注
注1:日本福音書房の『詩歌』に収録されているファニー・クロスビーの詩歌は下記の14曲あります。
- 34(英39) ほめよ、父神のみわざ
- 36(英41) われらの声はただ主をほむ
- 190(英235) 賛美!賛美!主イエスを賛美す!
- 249(英316) 銀のひも切れる日
- 265(英308) たしかに、主わがもの
- 287(英387) 主よ、なれの御声聞き
- 294(英388) 手を取れ
- 456(英1059) 十字架に行き、泉を得る!
- 501(英679) 主の腕に抱かれ
- 508(英701) 出会うことすべて主の意志がある
- 664(英921) さあ、福音を伝えよう!
- 699(英1037) 罪が緋のように赤くあっても
- 708(英1028) イエスやさしく呼びたもう
- 730(英1054) 救い主の声、人よ、聞け!
涙が出ます。