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【読物】キリストを愛することによってキリストを生きる

関連詩歌

神が我が罪を背後に投げ捨て(大本詩歌233番)

みことば

ヨハネ14:15-17

あなたがたは、わたしを愛するなら、わたしの戒めを守るであろう。16 わたしは父にお願いしよう.そうすれば、彼はあなたがたに別の1慰め主を与えて、いつまでも、あなたがたと共にいるようにしてくださる.17 それは実際の霊である.世はその方を受けることができない.それは、世が彼を見ないし、知りもしないからである.しかし、あなたがたは彼を知っている.彼はあなたがたと共に住んでおり、あなたがたの中におられるようになるからである。

ルカ7:47

こういうわけで、わたしはあなたい言う.彼女の罪は多いが、赦されている.だから彼女は多く愛した.しかし、少ししか赦されていない者は、少ししか愛さない。

ルカ7章50節 フットノート1
その赦された女は、救い主への愛だけでなく、彼への信仰も持っていました。信仰は愛を通して働き(ガラテヤ5:6)、その結果、平安がありました。彼女を救った信仰は、彼女を愛にあって救い主へもたらし、彼女が平安の中を前進するという結果になりました。信仰、愛、平安は、救い主の救いを経験し、享受することでの三つの重要な美徳です。信仰は、救い主の救う力と美徳の中で、救い主を知ることによってもたらされます。愛はこの信仰から出て、平安の中へもたらします。そしてわたしたちは救い主に従います。わたしたちの生活の中で救い主に従うことによって、信仰と愛は、わたしたちに平安をもたらします。その結果、わたしたちは主の命を享受し、その命の中で成長するのです。

読み物

キリストを愛することによってキリストを生きる

わたしたちは日々の活動に従事している者として、わたしたちの生きることは、それらの活動であってはなりません。実はキリストであるべきです。わたしたちの思いはキリストに集中しているべきです。

しかし、わたしたちがキリストに思いを集中するのは、キリストに対するわたしたちの愛にかかっています。新約聖書がわたしたちにキリストを愛するように命じている理由がここにあります(マルコ12:30、啓2:4-5、ヨハネ14:2321:15-171ペテロ1:8)。

もしキリストを愛さないなら、わたしたちは彼を生きることができません。そして彼を愛する最上の方法は、わたしたちの全存在を彼の上に集中することです。若い母親が子供を産む時、彼女の全生活はその新生の赤子です。彼女にとって、生きることは彼女の新生の赤子です。これはその子に対する彼女の愛のゆえです。

わたしたちが極限までキリストを愛する時、わたしたちの全存在は彼で占有されます、そしてわたしたちは彼を生きます。これがパウロの経験でした。こういうわけで彼は言いました、「わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ1:21)。パウロにとって生き続けることはキリストでした。そしてもし死ぬとしたら、それは益でした。

キリストを生きることは、わたしたちが彼を極限まで愛することを要求します。時として、わたしたちは何ものかに全く捕らわれてしまった時、その夜わたしたちはその事を夢にまで見るでしょう。夢の中でさえ、わたしたちが生きるのは、わたしたちを捕らえたそのものでした。キリストはそのような程度にまで、わたしたちを捕らえる必要があります。

ディスカッション

  1. どうしたら主を愛せるのでしょうか?(ルカ7:50フットノート1参照)
  2. 多く赦される者は罪が多いからでしょうか?
  3. あなたは主に赦された経験がありますか?

出典

御言:JGW日本福音書房『回復訳聖書』20098月(第二版)

読み物: 『命の経験と成長』メッセージ5「命の経験(三)」PP54-55

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